「しきしまの倭(やまと)の国はことだまのたすくる国ぞ真幸(まさき)くありこそ」
万葉集にでてくる 柿本人麿の歌です。万葉の歌人たちは、言霊の力を知り、恩恵に感謝の念を持っていたようです。 - 幻の言霊学者といわれる山口志道の水穂伝に次のような内容の記述があります。
『天地万物をはじめ、人の呼吸言語に至るまでことごとくが、火と水の二元より成立している。天地も水火(いき)の凝りであり、人も水火(いき)の凝りであって、つまるところ人は小宇宙(ミクロ・コスモス)なのである。つまり、万物照応の玄理に基づいて、わが水火(いき)の発現である言霊によって天地が動くのである。』
- 古事記の神名秘釈のひとつに、天之御中主神を御名霊主神という伝えもあるように、
『名はすべてのはじまりであり、万物はその名霊(なのたま)通りの性質、特性を持ち、森羅万象は水火(いき)の言霊の響きに応じて、生成変化する。』と志道は考えたのです。
- また水穂伝では、音図表(現在の五十音図表の配置と変わりありません。)について、
『「あいうえお」の母音と「かたさたなはまやらわ」の九行の父音の「美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)」、つまり、水火(いき)の交合の結びなす大宇宙の曼荼羅である。』と説いています。
物質が電子の配列いかんによって水素となり、あるいは酸素となるように、それぞれの音声が、それぞれの位置によってその特性を示すのです。さらに、その水素と酸素が組み合わさって水となるように、五十音もそれぞれ単独で意義を有しながらも、さらに二つ、三つと組み合わさって、また違った意義を有していきます。
- 大和言葉には、春夏秋冬、四季の移り変わりのあることが今も昔も変りないように、一定不変の自然法則があり、宇宙の理と古代人の純粋な心性が感応し、発言したものです。言語も、言語法則も自然の玄理に符合したものであって、一音ごとに神格があり、神性を具備しているのです。
その言語が、言葉となって現れることにより、普遍の道の表象となり、言葉即生命であり、心理であるのです。
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